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2020/03/25

だから、腕時計には、パッションだってば

先日、腕時計の文字盤の書体などについて、Twitterなどで話題になっていた。
ちょうど、高輪ゲートウェイ駅の駅名標の書体について話題になっていた流れだろうか。

結局のところ、書体を含め、
「腕時計全体として、よいかどうか」ではないかと筆者は考える。

一般に、どんなにディテールを積み重ねても全体にはならない。

大切なのは、調和、バランスをとること、であるし、
ファッション的にはあえて外す、もあるだろう。
あえて非対称にしたり、あえて違和感をもたせたりするのも技法の一つである。

ただし、メーカーとしては、
その腕時計単体が、常に素晴らしければ、よいわけではない。

メーカーとしては、低価格から高価格までラインナップしていたら、あえて品質に差異を付ける。

逆に、同一ブランド内なら、どの製品も決して品質に差をつけないというやり方もある。
(その場合、機能や装飾で差をつける)


そう考えると、低価格なセイコー5の例のように、
1万円未満の商品で満足されて、プレザージュはてはグランドセイコーに、顧客の目が向かないとなると、まずいはずだ。

スウォッチグループのように、傘下ブランド間で品質差・価格差を明確に区別しているところも多い。

そうすると、同一ブランド内でも価格の高低によって、露骨に品質を変える、
例えばフランクミュラー(フランク三浦ではない!)のようなやり方も、決してアコギではないといえる。
(むしろ、数十万円台のフランクミュラーは、天才時計師フランク・ミュラー作品の雰囲気を、【格安】で大衆が味わえる合法的類似商品である、とさえいえる。)


とすると、我々は、細部にこだわるのではない。

その腕時計が、好きか否かで選ぶしかない。
パッションを感じるか否かだ、と声を大にしたい!




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