【続のん式偽物論】いっそ、低価格帯は「偽物」にしたら?
商標権等の権利者認めたものが、本物、というのは、あまりに紋切り型であると筆者は考える。
もちろん、「法律的には、権利者または公的機関が認めたもの」、だろう。
しかし、あくまで法律は、他者との争いになったときに、その解決のために解釈適用するツールであって、
個人の内心、個人の趣味にまで関わってよいことではない。
さて、およそ日本の大手メーカーが、ブランディングに等しく失敗しているのが、その「本物」のせいであると思う。
結局、1万円未満の良コスパ製品も、5〜10万円程度の主力製品も、数十万円〜の(日系メーカーにとっての)高価格帯も、大抵が同じセイコーまたはシチズンブランドであることだ。
もちろん本物の。
セイコー5も、数年前までのグランドセイコーも、等しくSEIKOを、文字盤につけていた。
今では、グランドセイコーは「SEIKO」を外したが、結局グランドなSEIKOであることに変わりはない。
どちらも本物のセイコー同士なのだ。
本物同士だから、低価格帯のイメージにひっぱられ、低価格帯も高価格帯も同じような仲間扱いされる。
たとえ、どんなに美味な(しかも、値段が高い)料理でも、それが大手チェーンのファミリーレストランの料理であったら、フォーマルな宴(結婚披露宴など)には使うはずがない。
それと同じ現象が、腕時計で起き続けているのに、「ジャーナリスト」は伝えない。
もしも、地球上に、腕時計メーカーが、セイコーとシチズンしかなかったのなら、競合同士で仲良く失敗していればいいのだが、現実には世界中に競争相手がいる。
よく、日本の腕時計が、諸外国で好評と「ジャーナリスト」たちが宣伝しているのに、スイスの腕時計に売上で大差をつけられている。
結局は、ブランディングであると考える。
いっそ、低価格帯、中価格帯、高価格帯で、完全にブランドを切り離すべきだと考える。
たとえば、セイコーなら、中価格帯のみにセイコー表記をつける。グランドセイコーは完全に別の名前にする。
シチズンならザ・シチズンの名前を変える。または、近年買収した他ブランドに高価格帯は任せ、ザ・シチズンは撤退する。
などが考えられる。
数十年前のように、鎖国的で、国内メーカーの製品をステップアップしていくような消費者はいないのだ。
「いつかはロレックス」と憧れる若者はいても、「いつかはセイコーの高級品」と考える若者は少ないのだ。
アカツメ氏から、インド製の偽セイコー5についての、情報をいただいたので、興味を持って探したところ
本当にあった!!
明らかに偽物らしい上に、JAPAN MADE表記があり、
販売者は多数のインドからの輸入品を取り扱っているという。
こんな製品が作られるということは、低価格帯におけるセイコーの根強いブランド力をうかがわせる。
偽物が多数あることによる、実体経済的な証拠である。
以前取り上げたフランクミュラーなどは、数千万円の超高額品と、数十万円の普及品で露骨に中身が違う。
同じブランドの製品か?と疑うレベルである。
しかし、むしろ、天才時計師による超高額品のイメージで、普及品を多数販売するビジネスモデルと考えて良いともいえる。
つまり、F1のスクーデリアフェラーリ(フェラーリチーム)のイメージで、「見た目だけ」の市販車を売りさばくフェラーリ社と同じ構造だ。
(ちなみに筆者はスクーデリアフェラーリファンで、ニューヨーク市場に上場されているフェラーリ株も持っている)
筆者は子供の頃、芸能人がテレビ番組で自慢する市販車のフェラーリを、「フェラーリの偽物」だと思っていた。
その感覚は正しかった。
今でも、筆者はF1マシン以外のフェラーリは、フェラーリ社による自作の偽物だと思っている。
今回は、偽物とは、本物とは、と考えた。
筆者にとって、本物と考える幅はすごく狭い。と同時にだからこそ、偽物も認める部分があるのだ。
ところで、徐々に腕時計をカスタムしていって、元のパーツが全くなくなったら、それは偽物なんだろうか?
偽物だとしたら、それは、いつ偽物になったのだろうか?
もちろん、「法律的には、権利者または公的機関が認めたもの」、だろう。
しかし、あくまで法律は、他者との争いになったときに、その解決のために解釈適用するツールであって、
個人の内心、個人の趣味にまで関わってよいことではない。
「本物」の弊害
さて、およそ日本の大手メーカーが、ブランディングに等しく失敗しているのが、その「本物」のせいであると思う。
結局、1万円未満の良コスパ製品も、5〜10万円程度の主力製品も、数十万円〜の(日系メーカーにとっての)高価格帯も、大抵が同じセイコーまたはシチズンブランドであることだ。
もちろん本物の。
セイコー5も、数年前までのグランドセイコーも、等しくSEIKOを、文字盤につけていた。
今では、グランドセイコーは「SEIKO」を外したが、結局グランドなSEIKOであることに変わりはない。
どちらも本物のセイコー同士なのだ。
本物同士だから、低価格帯のイメージにひっぱられ、低価格帯も高価格帯も同じような仲間扱いされる。
たとえ、どんなに美味な(しかも、値段が高い)料理でも、それが大手チェーンのファミリーレストランの料理であったら、フォーマルな宴(結婚披露宴など)には使うはずがない。
それと同じ現象が、腕時計で起き続けているのに、「ジャーナリスト」は伝えない。
もしも、地球上に、腕時計メーカーが、セイコーとシチズンしかなかったのなら、競合同士で仲良く失敗していればいいのだが、現実には世界中に競争相手がいる。
よく、日本の腕時計が、諸外国で好評と「ジャーナリスト」たちが宣伝しているのに、スイスの腕時計に売上で大差をつけられている。
結局は、ブランディングであると考える。
ならば
いっそ、低価格帯、中価格帯、高価格帯で、完全にブランドを切り離すべきだと考える。
たとえば、セイコーなら、中価格帯のみにセイコー表記をつける。グランドセイコーは完全に別の名前にする。
シチズンならザ・シチズンの名前を変える。または、近年買収した他ブランドに高価格帯は任せ、ザ・シチズンは撤退する。
などが考えられる。
数十年前のように、鎖国的で、国内メーカーの製品をステップアップしていくような消費者はいないのだ。
「いつかはロレックス」と憧れる若者はいても、「いつかはセイコーの高級品」と考える若者は少ないのだ。
インド製セイコー5?
アカツメ氏から、インド製の偽セイコー5についての、情報をいただいたので、興味を持って探したところ
本当にあった!!
明らかに偽物らしい上に、JAPAN MADE表記があり、
販売者は多数のインドからの輸入品を取り扱っているという。
こんな製品が作られるということは、低価格帯におけるセイコーの根強いブランド力をうかがわせる。
偽物が多数あることによる、実体経済的な証拠である。
自作の偽物
以前取り上げたフランクミュラーなどは、数千万円の超高額品と、数十万円の普及品で露骨に中身が違う。
同じブランドの製品か?と疑うレベルである。
しかし、むしろ、天才時計師による超高額品のイメージで、普及品を多数販売するビジネスモデルと考えて良いともいえる。
つまり、F1のスクーデリアフェラーリ(フェラーリチーム)のイメージで、「見た目だけ」の市販車を売りさばくフェラーリ社と同じ構造だ。
(ちなみに筆者はスクーデリアフェラーリファンで、ニューヨーク市場に上場されているフェラーリ株も持っている)
筆者は子供の頃、芸能人がテレビ番組で自慢する市販車のフェラーリを、「フェラーリの偽物」だと思っていた。
その感覚は正しかった。
今でも、筆者はF1マシン以外のフェラーリは、フェラーリ社による自作の偽物だと思っている。
というわけで
今回は、偽物とは、本物とは、と考えた。
筆者にとって、本物と考える幅はすごく狭い。と同時にだからこそ、偽物も認める部分があるのだ。
ところで、徐々に腕時計をカスタムしていって、元のパーツが全くなくなったら、それは偽物なんだろうか?
偽物だとしたら、それは、いつ偽物になったのだろうか?
【ランキングサイト参加中!】
【バナーのクリックお願いします!】
↓ ↓ ↓ ↓にほんブログ村
時計ランキング
- 関連記事
-
-
【在宅勤務】家の中で最適な腕時計なんてある?【テレワークと腕時計の今後】 2020/04/14
-
それは、愛着なのか!? 2020/04/11
-
身近な経済と腕時計 【腕時計から見る経済シリーズ3】 2020/04/10
-
【続のん式偽物論】いっそ、低価格帯は「偽物」にしたら? 2020/04/09
-
TPOに合わせた腕時計ってなによ?【場面/シーンに適した腕時計の選び方】 2020/04/07
-
息子に腕時計を受け継がせたいんだ! 2020/04/05
-
【腕時計】スナック菓子を食べながら、ファミコンのコントローラーを握るのをやめた日から、僕は物を大切に使うようになったんだろう【使い方】 2020/04/04
-
コメント